今こそ知りたい!ビールの起源と歴史の話
わたしたちが20歳になった頃には、もうすでに身近なアルコール飲料になっていた「ビール」。ビールがいつ、どのようにして生まれたかご存知ですか?
ビールの歴史を知れば、もっとビールのことが好きになるはず!
今日は「ビールの起源」「ビールの歴史」について、一緒に紐解いていきましょう。
ビールが生まれたのは「紀元前」
紀元前3000年:ビールにまつわる最古の記録
ビールをつくる様子が最初に描かれたのは、なんと紀元前3000年頃。
粘土板遺跡「モニュマン・ブルー」に、ビールをつくる様子が楔形文字で描かれています。
最初のビールは「シカル」と呼ばれ、粉にした麦芽でつくった「バッピル」というパンを砕いてお湯で溶き、自然発酵させたものでした。ろ過をすることがなかったので、当然、このビールには「麦の殻の搾りかす」が含まれています。
紀元前2000年頃には、ピラミッド内部の壁画にも、ビールづくりの様子が描かれています。
ピラミッド建設地にはビール醸造所が併設されていたのです(!)。
建設に関わった者にはビールが支給されたため、「ビールがピラミッドをつくった」と言われています。
当時のビールは、アルコール度数10%とハイアルコール。
栄養が豊富で、疲労回復にも効果があったそうです。
紀元前500年:パンを使わないビールづくりを開始
紀元前500年頃には、ゲルマン人が、鍋で麦汁をつくって自然発酵させる方法で、ビールをつくりはじめます。
これは、現在の製法に通じるビールのつくりかたなんですよ。
ありがとう、ゲルマン人のみなさん。
8世紀:カール大帝がビール醸造を奨励
8世紀ごろ、ビールはワインより下等な酒だとされていました。
ギリシャ・ローマの気候はブドウ栽培に適した気候のため、ワイン醸造が中心だったことや、当時のビールのアルコール度数がワインより低かったこと等が理由です。
でも、当時の生水は不衛生。水を煮沸してつくるビールは安全な飲み物でした。
フランク王国のカール大帝はそこに目をつけ、「伝染病から命を守る恵み」としてビールを世に広めたのです。
ホップが使われ始めたのは中世になってから
12世紀:「ビールにホップ」最古の記録
今ではビールづくりに欠かせない「ホップ」。
このホップが注目され始めるのは12世紀初頭頃でした。
女子修道院長だったヒルデガルトが、著書『フィジカ』でビールにおけるホップの特性について、初めて詳細な記述をしています。
でも、ビールをホップに使うのが主流になるのはもうすこし後のこと。この頃はまだ、さまざまな薬草(ハーブ)を複雑に配合した「グルート」をビールの原材料として使用していました。グルートには、ビールに風味を与え、保存性を高める効果があったのです。
14~15世紀:ホップの使用が浸透
グルートの配合法は、独占販売権を持つ領主によって秘密にされていました。
彼らは調合したグルートを専売することで、多くの利益を得ていたのです。
そんななか、14世紀にホップの優れた防腐効果が確認されました。独占販売権に縛られず、またグルートよりも味と耐久性に秀でていることから、ホップを使ったビールが主流となっていきました。
ラガービール誕生、そして大流行!
15世紀:ミュンヘンでラガービール誕生
ビールづくりにおいて、温度管理はとっても重要です。
当時、ビール醸造は、気温が低く腐敗の恐れが少ない冬におこなわれていました。しかし、エールビールの酵母は温度が低すぎると発酵が進みません。醸造家は常に頭を悩ませていたのです。
そんな折、ラガービールの酵母が発見されました。
低温でも発酵が進むという性質を持っているため、温度が低すぎる日でも、ビールをつくれるようになりました。今でこそエールビールのほうが新しい・珍しいという印象を持たれていますが、実は、ラガービールのほうが新しいんですよ。
また、1516年にはドイツで「ビール純粋令」が発布されました。
ビール純粋令は、食品の品質保証に関して、世界最古の法律のひとつです。
「ビールは大麦、ホップ、水のみを原料とすべし」。
(1)不正なビールづくりを取り締まり、品質を向上させること、(2)パン作りのために小麦やライ麦を確保することを目的として定められました。
19世紀:ついに登場!大評判となったピルスナー
1842年、チェコ・ボヘミア地方のピルゼン市でも「ラガービールをつくりたい!」と、ミュンヘンから醸造技師を招きました。
しかし完成したビールは、琥珀色のミュンヘンのラガービールとはまったく違う、透き通った黄金色。これは、ミュンヘンとピルゼンの水の硬度の差によるものでした。
失敗かと思いきや、口当たりのよさや、きめ細かい純白の泡、そして黄金色の見た目が評判となり、あっという間に人気に!「ピルスナー」の名でヨーロッパを席巻しました。
クラフトビール誕生のきっかけは「禁酒法」
1920年:アメリカで禁酒法が施行、ビール会社が激減
ビールの製造ができなくなったことで、1910年には1,500社以上あったアメリカのビール会社は、わずか100社程度にまで激減!小規模の醸造所は、廃業や吸収合併を余儀なくされてしまいました。
小規模なビール会社が激減してしまった結果、ビールのバラエティも急速に減少。
1933年に禁酒法が廃止されても、アメリカのビール市場は、大量生産・画一的な味のラガービールばかりが流通している状況だったのです。
1970年代:いっそ「自分の飲みたいビール」をつくろう!
1970年代には、ライトなラガービールに飽き足りたアメリカのビールファンたちが、自宅で「自分の飲みたいビール」を自家醸造しはじめます。柑橘系の香りが特徴のアロマホップ「カスケード」がアメリカで生まれたこともあり、ビールの自家醸造はますます盛んに!
そして、自家醸造で腕を磨いたビールファンが中心となり、新たに小規模なビール醸造所が立ち上がり、多様で個性的なビール(=クラフトビール)をつくりはじめたのです。
日本でも小規模醸造所でのビールづくり解禁
日本では、ビールをつくるためには「ビール製造免許」が必要です。
製造免許を取得するには、年間で最低2,000キロリットルものビールを製造しなければいけないという条件があり、それだけのビールを製造できる設備・販路を盛った大規模事業者しかビールをつくることはできませんでした。大規模事業者しかビールをつくれなかったことに加えて、大量生産に向いていたこともあり、日本で流通しているビールはほぼすべてラガービール。特にピルスナーでした。
しかし、1994年の規制緩和で、年間最低製造量が2,000キロリットル→60キロリットルに引き下げられたのです(350ml缶換算で570万本→17万本!)。この規制緩和により、小規模なビール醸造所が数多く生まれ、日本でも多様で個性的なビールを楽しめるようになりました。
私たちヤッホーブルーイングも1996年創業です。
みなさまに幸せをお届けすべく、これからも様々なクラフトビールをつくっていきますので、どうぞお楽しみに。
今わたしたちが何気なく手にしているビールには、遡ればさまざまな歴史があるんです。
歴史に思いを馳せながら、よなよな晩酌してみませんか?
(おわり)
参考文献(順不同)
日本ビール文化研究会「日本ビール検定公式テキスト」
リース・恵実、瀬尾 裕樹子(翻訳)「ビール語辞典: ビールにまつわる言葉をイラストと豆知識でごくっと読み解く」
マイケル・ジャクソン「地ビールの世界」
マイケル・ジャクソン「世界のビール案内」
クリスティン・P. ローズ、マーク・スティーヴンス、フレッド エクハード、田村 功 (翻訳)「世界ビール大百科」
青井博幸「ビールの教科書」
村上満「ビール世界史紀行」
藤原ヒロユキ「BEER HANDBOOK」
渡辺純「ビール大全」
春山行夫「ビールの文化史」
ギャビン・D. スミス、大間知 知子(翻訳)「ビールの歴史」